通常、寿司シェフをしているのですが、シドニーでは、2020年3月後半、コロナの 影響で、ロックダウンになり、仕事はあったのですが、これを機に、貯蓄もあり、私自身は、 永住権を取得しているので、オーストラリア政府からの補助金もあるので、仕事は辞め、道を模索中です。
シドニー在住までの道のり
オーストラリアに最初に来たのは、10年以上前にワーキングホリデーで来たのですが、ハワイの様な温かい気候が好きだったので、1年中温かい気候のところを希望して、オーストラリアのケアンズに降りたちました。
※ ケアンズ
初めてケアンズに降り立った際、その温かい気候に『開放感』『生きがい』を実感できた瞬間でした。その瞬間にこの国に住みたいと思い、2年間のワーキングホリデーを終え、一度、帰国し学生ビザでこの国に帰ってきました。
永住権に関しては、シェフという仕事が需要があるので、日本でも調理師の免許はもっていたのですが、オーストラリアでもHospitality(ホスピタリティ)での勉強を再度し、永住権を狙おうと考えました。
※ ホスピタリティ
ケアンズで1年間半くらいHospitality(ホスピタリティ)の勉強をし、それからタウンズビルにある日本食レストランがスポンサーをしていいということで、タウンズビルに移動し、このタウンズビルは特にメジャーな街ではないので、アジア人が少なく、初めは退屈な街だと思いましたが、最終的には様々な人に出会い楽しむことができた生活だったと思います。
※ タウンズビル
タウンズビルで2年半の間、働き任期が満了したので、その日本食レストランを辞め、その際、既に永住権取得者だったので、仕事を求めブリスベンに移動しました。
※ ブリスベン
ブリスベンの印象は、図書館がやたらと多い印象ということと、中途半端な都会といった印象であまり馴染むことができず、1か月ほど滞在し、大都会のシドニーに移住したということになります。
その際、感じたのは『孤独感』というのがあり、人生の方向性が見つからない不安といった感情だっとのを覚えてます。
『永住権』は終着駅ではなく、スタートだと感じたのがそのときだと思います。
シドニーに降りたち
シドニーまでグレイハウンドバス(Greyhound Bus)で行き、飛行機で行った方が早いのですが、バスでの長距離旅というのがロマンがあって、その時はバスでブリスベンからシドニーに向かいました。
シドニーに降り立った時は、長い間、亜熱帯地域に住んでいたので、その都会的な雰囲気に、亜熱帯地域の『気楽さ』がなく、私は東京出身なのですが、東京の雰囲気を醸し出す様な空気があった様な気がします。
だた、東京とは違い、『自由』を感じることができたのがシドニーだと思います。
時期は冬だったと思いますが、バックパッカーを転々とし、仕事を探し求め、放浪してたと思いますが、仕事に就くと友達ができたり人との触れ合いができ、生活が楽しくなっていきました。
※ バックパッカー
シドニーでの生活
シドニーに降り立ってから、仕事に就き始めると、まず金銭的な『不安』から解放され、生活が楽しくなってきて、何より人との触れ合いも増えることによってさらに生活が楽しくなってきた覚えがあります。
タウンズビルに滞在していた時もそうですが、最初は何もない街で『退屈』だった印象がありましたが、仕事をし、様々な人との触れ合いによって、その人との触れ合いによって生活が楽しくなるという流れになると思います。
シドニーでの生活が軌道に乗り、長くなると他の都市に行ってみようと気になりますが、様々な人との出会いによって、移動することが何か『寂しさ』を感じさせます。
まとめ
シドニーに来たのは、何より『仕事』が豊富だったということです。ケアンズやタウンズビルは過ごしやすさはありますが、人口が少ないと同時に仕事の選択肢があまりないというのがあります。
シドニーの人口は530万人を超えているということで、それに伴って、仕事の選択肢があるということなので、生活するとなるとやはり都会です。
これからどうするかまだ迷いはありますが、そろそろまだ世界的に何か起きそうな予感があるので、それまで様子を見ていこうと思います。